あとがき

 小学生や中学生の自殺数が増えているというニュースを目にしました。自殺率ではなく自殺数です。「少子化の時代なのに、なぜ?」と疑問に思わずにはいられませんでした。もちろん、これまでなら自殺と判断されなかった死を自殺と判断するようになって、見かけだけ自殺数が増えている可能性もありますので、鵜呑みにはできません。それでも時代の息苦しさを象徴するニュースだと感じずにはいられませんでした。なぜ、現代は子どもが自殺をしたくなるような時代なのか? きっと子どもたちは「正しさ」に押し潰されているのではないでしょうか。

 勉強することは大切だ。働くことは大切だ。お金を稼ぐのは偉いことだ。家族の絆を守ろう。環境を守ろう。そのためにゴミを分別しよう。子ども向けの書物を紐解くと、こうした「正しい言葉」で溢れかえっていて、大人である僕ですら、なんだか責められているような気分になります。

 僕よりもっと繊細で壊れやすい子どもたちの心が、どれだけ苦しめられているのか、想像するのもおそろしいほどです。そんな「正しさ」の光で埋め尽くされた時代に、ほんの少しでもいいから、正しくないままでいられる影をつくりたい。そんな想いで僕はこの本をつくりました。

 本書では現代社会の常識(労働、お金、家族、教育など)にさまざまな角度から疑問を投げかけました。「馬鹿馬鹿しい理屈を教えるな」と他の大人に怒られるかもしれませんが、それはおかしい。僕たちは民主主義社会に生きていて、言論の自由があるということになっています。ならば、世間一般の「正しさ」とは異なる理屈に触れ、いまとはまったく異なる社会のあり方を想像することはむしろ必要なことであるはずです。

 ジョン・スチュアート・ミルという哲学者は「ある問題について、自分の側の見方しか知らない人は、その問題をほとんど理解していない」と言いました。先述の通り、子ども向けの書物は「正しさ」を押し付けてばかりいます。それは本当の教育だと言えるでしょうか?

 もちろん、絶対的な「正しさ」はありません。大人が押し付ける常識も、僕が書いたことも、あくまで一つの解釈です。だからこそ、できるだけ多くの見方を知るべきなのだと、ミルは言いたかったのでしょう。

 僕が「正しさ」が存在しないことに気づいたのは、大人になってからでした。いまになって考えれば、もっと早く気づけば間違えずに済んだ選択もたくさんあったと感じます。

 だから僕はこの本を14歳だった自分に向けて書きました。細かい経緯を語ることはしませんが、あの頃の僕は一歩間違えれば自殺していたくらいに追い込まれていたのです。結果的に自殺はしませんでしたが、この本に出会っていたなら、もっと自由に生きられたことでしょう。

 この本を手に取るのはかつての僕のような中学生かもしれませんし、大人かもしれません。「その通りだ!」と思うかもしれませんし、「こんなの間違ってる!」と思う人もいるでしょう。それはどちらでも構いません。

 とにかく僕は、正しくないかもしれない見方を提示したかったのです。ニケと少年のように、本音で議論し合える人たちが、これからもっと現れることを願って。

2024年3月