労働とは支配されること

「どういうこと? 殺人と労働って、別に関係ないんじゃない?」

「まぁ、それを説明するのは長い旅になる。気長にいこうや。とりあえずいま言えることは『労働がなくなれば、殺人の大部分はなくなる』ということやな」

「わからないなぁ」

「まぁ焦るな。次に考えなあかんことはな・・・そもそも労働って、いったいなんや?」

 質問をしたつもりが質問を返される。労働とはなにか? 意外とむずかしい。質問された途端に知らないことを思い知らされる。でも、僕はなんとか自分なりの答えを捻り出してみせた。

「そりゃあ・・・お金をもらうための活動?」

「なら、おじいちゃんの家にお年玉をもらいに行ったり、パチンコを打ったりするのは労働か?」

「・・・それは違うね」

「それに、家事労働とか奴隷労働っていう言葉もある。専業主婦も奴隷もお金はもらわれへんのが普通やな」

「じゃあ、なにか価値のあるものを生み出すこと? 奴隷は畑を耕すし、主婦は料理するよね」

「ほな『価値のあるもの』ってなんや?」

「例えば・・・野菜とか、テーブルとか」

「となると、野菜をつくる家庭菜園は労働か? テーブルをつくる日曜大工は?」

「うーん、それは趣味だね」

「じゃあ、趣味と労働の違いはなんや? 『趣味』はお気楽な雰囲気やのに、『労働』ってなると嫌な義務感があるやろ」

 たしかに、労働には嫌な義務感がつきまとう。趣味とは違うなにか。日常生活とは切り離されたなにか・・・

「わかった! 労働の方が、お金をもらわないといけない分、クオリティが要求されるんじゃない? アマチュア農家よりもプロの農家の方が美味しい野菜をつくるでしょ?」

「プロ顔負けの素人もおるで? 逆に新入社員はみんな下手くそや」

「なら、『お金をもらうために価値を生み出すこと』。これならどう? お金をもらわないといけないからクオリティを追求することが求められて、それを強制されるから嫌な義務感があるんじゃない?」

「まぁ悪くない。結局、お金をもらわへん家事労働や奴隷労働は抜け落ちるけどな」

「そっか・・・」

 わからない。永遠に答えに辿りつかない気がしてきた。

「もう降参か?」

「わかった! 『生きるためにやらなければならないこと』。これでどう? 会社で働くことはお金をもらうために必要だし、家事も生きるために欠かせない。奴隷は働かないと殺されるから生きるために仕方なく労働しているし」

「正解を教える前に、ちょっと参考になる話をしよか。世界にはな、こんな民族がおるねん。食べるために行う畑仕事や狩りなどの行為を『遊び』と同じ言葉で表現する民族が」

 よくわからない話がはじまった。ニケは周りくどいのか、丁寧なのか・・・

「それがどうしたの?」

「おかしいと思わんか?」

「どうして?」

「だって生きるためにやらなければならないから、労働は『労働』なんやろ? でもこの民族は、生きるためにやらなあかんことを『遊び』と捉えていた。つまり楽しみながらやってるんや」

「それってジャングルの奥地に住んでるような人たち?」

「まぁそういう類の人たちや」

「それは単に、僕たちよりも語彙が少ないだけじゃないの?」

「あほか。ジャングルをバカにすんな。あの人らかって賢いねん。現代人より狩猟民の方が頭がいいなんて噂もあるんやで」

「それって誰が言ってたの?」

「忘れた。噂や」

「なにそれ。哲学者のくせに」

「自称哲学者なんや。ちょっとくらいの脇の甘さは許してくれや。それはともかくとして、狩りや畑仕事といった行為は俺らの社会では『労働』と考えられているのに、それを『遊び』と一緒くたにしている人は、未開社会では珍しくなかった。これがなにを意味するかわかるか?」

「うーん、生きるために必要だからといって、『労働』とは限らないってこと?」

「そう。つまり、生きるために必要な行為だからといって、必ずしも労働のように苦しかったり、めんどくさかったりするわけじゃない。となると・・・」

「『生きるためにやらなければならないこと』っていう労働の定義は不十分?」

「そういうことや。ともかく、アンチワーク哲学は別の定義を採用する。定義はいくらでも考えられるし、完璧はない。ただ、アンチワーク哲学では労働をこう定義するって覚えといてくれ」

 ニケは大袈裟に間を置いてから言った。

「『労働とは、他者より強制される不愉快な営み』と」

「強制? 不愉快?」

「そうや。こうしておけば、奴隷労働や家事労働もこぼれ落ちへんやろ?」

「そうかもしれないけどさ、じゃあ先生に反省文を書かされるのも労働になっちゃうよね」

「せやな。アンチワーク哲学ではそれも労働と考えるけど、納得いかん人もいるやろな」

 当たり前だ。僕も納得いかない。

「それに、好きで労働をする人は? 不愉快でもないし、強制されているとも感じないんじゃないの?」

「せや。それもアンチワーク哲学では労働ではない」

「なにそれ? そんなの言ったもん勝ちじゃん」

「まぁ定義っちゅうんはそういうもんや。完璧な定義なんてない。さっき少年が言った『生きるためにやらなければならないこと』っていうのも悪くない。生きるため、つまりお金をもらうために、他者からの不愉快な命令に服従する必要があるんやから、あながち間違ってはないんや。でもな、ぶっちゃけ定義が正しいかどうかなんてどうでもええねん」

「え? どうして?」

 労働の定義についてこんなに考えてきたというのに、ニケは急に梯子を外すようなことを言う。真面目に議論しているのか、適当なことを話しているのか、やっぱりよくわからない。

「言うたやろ? 定義に完璧はない。だから『労働の定義はこうや』『いや違う』っていう議論を続けても泥試合になるだけや。『これはいじめか? いじりか?』みたいな議論を続けても、苦しんでいる子が救われるわけじゃないのと一緒やな」

「そういうものかな?」

「せや。どうでもええ。ただし、この定義を採用すれば『その行為が強制されているか、されていないか』という側面の重要性を浮き彫りにするんや。これまでの労働に関する議論は、そこが抜け落ちてた」

 わかるようで、わからない。結局ニケがなにを言いたいのか。

「まぁ細かいことはええわ。ともかくアンチワーク哲学は『他者より強制される不愉快な営み』が悪であって撲滅しなければならないと考える。なら、アンチワーク哲学がどんな世界を理想としているのかがわかるはずや」

「えーっと。『他者より強制される不愉快な営み』がなくなるんだから、『強制されることなく好きなことだけをやる世界』がアンチワーク哲学の理想ってこと?」

「そういうことやな。それを労働なき世界と呼ぶんや」