靴なんか履きたくない

 これまでの考えを拭い去るのはむずかしい。理屈の上では理解できても、脳みそが受け入れることを拒んでいるようだ。古臭い自分の脳みそと格闘しているうちに、僕はまた新たな疑問点が頭の中に登場するのを感じた。

「どうしたん?」

「ちょっと反論していい?」

「お、ええで」

「命令されるとその行為をやりたくなくなるってことだよね?」

「せや」

「それを言うなら僕たちはご飯を食べないと死ぬわけじゃん?」

「ん? せやな」

「じゃあ、ご飯を食べるように強制・・・つまり命令されてるようなものじゃん?」

「うん」

「なのに僕はご飯を食べることが好きなんだけど、これっておかしくない?」

「ほう、なにがおかしいんや?」

「命令されたら、やりたくなくなるんじゃないの?」

「お、少年はなかなかセンスあるな。さすがは俺の・・・」

「・・・俺の?」

 飄々と話すニケに、珍しく動揺の色が見えた。それは見間違いかと思うほどにあっという間に消えていき、ニケはいつものペースで言葉をつなぎはじめた。

「・・・見込んだ男や」

「僕、いつの間に見込まれてたの?」

「まぁええがな。それよりな、命令されているからといってすべてが嫌になるわけじゃない」

「そうなの?」

「そういうもんや。セクシーなお姉さんに『パンツを脱げ』って命令されたら、嫌な気分にはならんやろ?」

「あの・・・こっちは一四歳なんだから、ちょっと表現に気を遣ってくれてもいいんじゃない?」

「一四歳やったらもっと過激な話もしてるやろ」

「いや・・・」

 たしかに同級生たちは、下ネタを言い放つ度胸を見せびらかすように、大声で話している。そんなとき、僕は居心地の悪い思いで愛想笑いをしていたっけ。

「・・・というのはまぁ置いといて、君はアンチワーク哲学の深淵に踏み込んだんや」

「深淵?」

「そう。アンチワーク哲学は『好きなことをやれ』っていう哲学や。ただし、好きなことだけを追い求めていたら好きなことはできへん」

「は?」

 好きなことだけを追い求めていたら、好きなことはできない? どういうことだろう?

「少年、靴を履きたいって思ったことはあるか?」

「いや、靴を履くのって当たり前だし、進んで履きたいと思ったことはないけど?」

「せやろ。たとえば少年は今日、大好きなバンドのライブに行くとしよう」

「うん。僕はライブに行ったことはないけどね」

「たとえばの話や。話の腰を折るな」

「わかったよ」

「ほんでな、ライブに行くには靴を履かないとあかん」

「うん」

「でも、靴を履くことは別に好きなことではない」

「そうだね」

「じゃあ、靴を履くのは、強制されてるって感じるか?」

「うーん、たしかにそうかもしれないけれど、ライブに行くためなんだから、不満に思うことはないね」

「せやろ? 人間は好きなことをやるために、いろんな下準備をする。でも、その下準備が必要やと思ってたら不満に思うことはないねん。『靴なんか履きたくない!』とキレる人なんか見たことないやろ?」

 たしかに。そんな人がいたら単なるバカだ。

「少年はさっき、飯を食うことは事実上強制されてると指摘した。これは鋭い指摘やった。でも、人間は生きていくために飯を食わなあかんってことに納得しているから、事実上強制されていたとしてもいちいち不満に思わへんねん」

「強制されていようが、納得していれば問題ないってこと?」

「そうや。強制されていると感じるのは、納得度が欠如しているからや。拳銃を突きつけられてスクワットさせられる状況に納得できる人なんかおらんやろ? だから命令に不満を感じるんや。ただし・・・」

「ただし?」

「靴を履くことすら嫌がる人はいる」

「そうなの? そんな人がいるとは思えないけど」

「小さい子どもや。少年は子育ての経験がないやろからわからんかもしらんけど、三歳児は『Aという行動をとるためにBという準備をせなあかん』ということがわからへん。わかっていたとしても、『いますぐAという行動を取りたい』という衝動を抑えるのがむずかしい」

「そうなの? 合理的じゃないね」

「子どもなんてそんなもんや。テーブルの真ん中にあるスープを飲みたいと思ったら、少年ならどうする?」

「一回、手元に寄せてから飲もうとするかな。そうしないとスープをこぼすし」

「せやろ。それは『スープを飲みたい』という欲望を一旦保留して、別にやりたくもない『引き寄せる』という行為を優先したんや。子どもやったら引き寄せることなく、テーブルを汚しながらスープを飲もうとする。そういう失敗を繰り返して、子どもは欲望の優先順位を覚えていくんや。大人になるっていうのは、そういうことや」