みんなで社畜になればいい?
大人になるっていうのは、そういうこと? ニケはなにが言いたいのだろう?
結局、スープを飲むためにスープを取り寄せるように、生き延びるために労働をしろってことじゃないのか?
「だったらさ、お金をもらうために労働するのも、仕方のないことなんじゃないの? ご飯や服、ゲームを買いたいという欲望を保留して、そのための下準備として労働をすることで、結果的に欲望を叶えられているわけだし。逆に労働しなければ、満足に買いたいものも買えないし、生きていけないよ?」
「お、少年はまたええところに目をつけたな」
「そうかな」
「せや。実際にそうやって労働に満足する人はいる。みんなが少年みたいに『労働したくないよ〜』と文句を言っているわけじゃないんや」
僕を小バカにしたような言い方をするが、ニケは自分の言葉がブーメランになっていることに気づいていないのだろうか?
「ニートに言われたくないけどね」
「ニートをバカにすんなよ、多様性の時代やろ? ポリコレに引っかかるで?」
「ニートはセーフでしょ?」
「あほか。ニートにも人権はあるで」
ニートにも人権はある。それはその通りなのだけれど、きっとそれは建前だろう。大人たちが「勉強しなければニートになる」と脅しつけるのを聞いていれば、「労働者でなければ人に非ず」くらいの感覚で生きているように感じる。
「まぁええ。続けるで。お金を稼ぐために労働することは、事実上、命令されてる。でも、そのことに納得をしているなら不満はなくなる。それが社畜心理の第一歩やな」
「社畜心理?」
「そう。社畜心理。『なんでこんなことせなあかんねん!』と思わなくなって『これは仕方ない』とか、いっそ『労働が楽しい』とまで感じるようになることを意味するねん」
「労働を楽しいって思う人がいるの?」
「おる。人間が不満を抱き続けるのは意外とむずかしいもんや。不満がある場合、人はどうすると思う?」
「どうだろう、その場から逃げるかな?」
「せや。でも、労働のように逃げられへん場合はどうする?」
「うーん、『仕方ない』って受け入れるんじゃないかな」
「そう。そして『仕方ない』がだんだん快感になっていくねん。俺も二十代の頃は馬車馬のように働いていたんやけどな・・・」
意外だ。この男にも就業経験があったのか。
「はじめは毎日『辞めたい』って思ってたけど、入社して一年もたった頃には慣れてくるねん。あの頃は同僚と『残業八十時間が過労死ライン? 百時間超えが普通っしょ?』って飲み屋でゲラゲラ笑いながら話したもんや。間違いなく、俺はその会社で労働することが好きになってた」
「それは好きって言えるの? 自虐してるだけじゃない?」
「自虐ってのは楽しくないとできへんもんやで。自分のコンプレックスを笑いに変えられる人にとって、それはもうコンプレックスではないのと同じや」
「ふーん」
そういえば、ニケはどうしてニートになったのだろう? 聞いてる限りだと真面目に働いてたみたいなのに。
「それで、ニケはどうしてニートになったの? 仕事が好きだったんでしょ?」
「少年。それはプライバシーってやつや。五十年も生きてると話したくないことは山ほどあるんや」
「なにそれ? 僕は洗いざらい話したのに?」
「一四年と五十年やと重みが違うわ。理想を追いかけて大失敗するような、涙なしには語れない人生経験もあるねん。ぜんぶ話すわけにはいかん。まぁ一個だけ伝えるとすれば、俺はもっと休みが多い会社からオファーを受けて転職した。それだけやな」
こんな胡散臭い男にオファーを出すとは、物好きな会社があるものだ。
「会社が好きになってたわけじゃないんだね」
「鍵がかかった牢屋に閉じ込められてたら、その牢屋がいい場所やと思い込まないと気が狂いそうになる。でも、鍵が開いてたらそんな思い込みはさっさと捨てて逃げる。そういうもんや。あとから思い返せば、あれは強制されてたんやなぁと俺も気づいたわ」
そういうものなのだろうか。ニケの言う社畜心理とやらは、意外と脆いものなのかもしれない。
「ところで、少年のご両親は労働をどう考えてるやろか?」
「うーん、どうだろう。『楽しい』とまでは思っていないだろうね。お父さんはいつも疲れてるし。でも、家で文句を言うこともないから『仕方ない』とは思っているんじゃないかな」
「まぁ、だいたいの大人はそんなもんやろな。積極的に労働の意義を肯定してなくても、生きるために、家族を養うために、遊んだり贅沢したりするためには仕方ないって思っているはずや」
「ていうことはさ・・・」
「ん?」
「やっぱり労働は仕方ないんだから、それに納得せずに文句を言うのは三歳児と同じってことだよね? 労働は生きるために必要なんだから、みんなが労働という運命を受け入れるべきなんじゃないの?」
「なるほどな」
「それに、アンチワーク哲学の定義で言えば、納得しているなら強制されているわけじゃないんだし、労働ではなくなるんでしょ? みんなが納得すれば解決するんじゃない?」
「俺はたまに考えることがあるねん。もし俺が戦後の焼け野原に生まれていたら、きっと頑張って家を建てたり、工場をつくったりしたやろなぁって」
ニケは大袈裟に遠くの空を見つめながら言った。なんだか話題を逸らされた気がする。
「ニートなんだから、戦後に生まれててもダラダラ過ごしてるんじゃないの?」
「あほか。焼け野原に家を建てることはどう考えても大事なことやろ。だからちょっとくらい辛くても納得できるわ。でもな、現代の労働に完全に納得できる人は少ないはずや。だから労働は耐え難いねん」
「そうなの?」
「せや。現代においても個人が生きるためにはお金は必要や。でもな、社会全体としてみたときに現代の労働は必要ない。だから納得できへん人がたくさんおるねん」