お金を配れば解決
ニケは、頑張って勉強する人やAIをつくる人、営業する人をバカにしているように見える。でも、きっとニケはそうは思っていない。素朴に「無駄だからやめよう」と言っているだけなのだろう。
だとすれば僕が次に質問すべきことは明白だ。本当に無駄だったとして、いったいどうやってやめればいいのだろうか?
「ちょっと整理していい?」
「おう」
「アンチワーク哲学は労働をなくすべきって主張しているんだよね?」
「せや」
「労働のうち、お金を集めてくる政治活動に夢中になるのは社会全体の発展には貢献しない」
「うん」
「経済活動にも、『お金を稼がないといけない』という焦りのせいで、売れ残りなどの無駄が生まれているし、政治活動のためのビルを建てるような仕事もいらない」
「うんうん」
「労働者が強制されなくなれば、人は無駄な労働をやめる」
「そうそう」
「そして強制によって抑圧されていた貢献欲が発揮されて、自発的に家を建てたり野菜を育てたりするから、強制という意味での労働がなくなっても困らない」
「せやせや」
「・・・っていうことでいいんだよね?」
「少年、ものわかりええなぁ」
「じゃあ具体的にどうやって労働をなくせばいいの? 現実にお金は必要なんだから、お金のために強制される状況は変えられないんじゃない?」
「もう答えはわかってるようなもんちゃうか? お金を配ればええねん」
「え?」
ニケの言うことは相変わらずめちゃくちゃだ。お金を配る? そんなことをすれば社会はどうなるんだろう?
「聞いたことないか? ベーシックインカムって」
「たしか・・・国民全員に毎月一定額のお金を配る仕組みだよね」
「そうそう。貧乏人から金持ちまで、みんなに一定額を配る。細かい仕組みはいろんなバリエーションがあるけど、とりあえず『それだけあれば野垂れ死ぬことはない』くらいの金額が想定されることが多い。日本なら月七万円か十万円ってところや」
はじめてベーシックインカムを知ったとき「お金がもらえるなんて、いいなぁ」と感じたのと同時に、「いやいや、そんなうまい話があるはずがない」と感じたのも覚えている。
「でもさ、お金持ちに配る必要はないでしょ? それに、そのお金はどこから用意するの? まさか税金?」
「いろんな考え方があるな。年金や生活保護、健康保険なんかをぜんぶ廃止してベーシックインカム一本にして、関連する公務員の給料を削減して、足りない分は増税して、なんとか帳尻を合わせる・・・っていうケチ臭いベーシックインカム案もあるで」
「でも、年金を受け取れない人がかわいそうだし、貧乏な人は病院に行けなくなるよね」
「せや。だからアンチワーク哲学は別のベーシックインカム案を支持しとる」
「どんな?」
「一言で言えば『金を刷って、配れ』やな」
僕は呆然としたが、ニケは「なにがおかしい?」とでも言わんばかりの真顔でこちらを見てくる。でも、そんなことって・・・
「そんなことできるの?」
「お金ってのは紙切れ。誰でも知ってるやろ? 一応、法律上は政府が直接お金を刷ることはできないことになってるけどな、やろうと思ったらできる。またお金がどうやって生まれるか調べてみたらええわ」
「でもさ、そんなことをすれば・・・」
「インフレか?」
「・・・うん」
歴史の教科書で、お札に火を灯して蝋燭代わりにしている人の絵を見たことがある。お金を発行しすぎて、お金の価値がさがれば大混乱が起きると、僕は教わってきたんだ。
「細かい話は置いといて。基本的な話だけするで。インフレっていうのはな、需要が大きくなりすぎたときか、供給が減ったときに起きるんや」
「うん・・・」
「噛み砕くとな、みんなが米を今までの二倍食うようになったら、米は不足する。不足したら値段が高くてもみんなが買うから、お米を売る人は値段を上げようとする。これが需要が大きくなってインフレするパターンや」
「なるほどね」
「ベーシックインカムを配ったら、そんなことが起きると思うか?」
想像してみる。毎月七万円か、十万円をもらえたらお母さんはお米をたくさん買うだろうか?
「うーん、お金をたくさんもらってもお米を二倍食べようとは思わないけど」
「せやろ?」
「でも、ほかのものはたくさん買うかもしれないよ。ゲームとか、漫画とか」
「せやな。でもちょっとやそっと買い物する量が増えても大した問題じゃない。いまの時代、人々がなぜ政治活動で消耗してるかわかるか?」
「え? 競争が激しくなってるからじゃないの?」
「それもあるけど、いまや人間が必要とする商品の総量は頭打ちになってるってことや。なんぼつくっても売れへんから無理やり売りつけてるってわけやな」
ものが売れない時代。そんな言葉を聞いたことがある気がする。戦後や高度成長期にはものをつくれば売れていたが、いまはそうじゃない。むしろつくったものを売るために工夫しなければならないっていう話だっけ?
「つまり、ちょっとやそっと需要が増えても、つくろうと思ったらつくれるってことや」
「でもさ、肝心のつくる人が減ったら? お米はやっぱり値上がりするんじゃないの?」
「それが供給が減ってインフレするパターンやな。貢献欲の話を覚えてるな?」
「覚えてるよ。貢献欲があるから、みんながお米をつくりつづけるってこと? さすがにそう上手くはいかないんじゃ・・・」
「農家の平均年齢って知ってるか?」
「え? 知らない。五十歳くらい?」
「とっくに六五歳を超えてるねん」
「そうなんだ。で、それがどうしたの?」
「六五歳すぎたら年金もらえるやろ」
「うん・・・あ!」
年金をもらうってことは、お金を毎月もらうということ。それはベーシックインカムと同じだ。
「そう。年金ってのはな。受け取る側になったら事実上のベーシックインカムみたいなもんや。毎月なんもせんでもお金がもらえるんやから。つまり日本の農家の大半は事実上ベーシックインカムを受け取ってるような状況にある。じゃあ農家はみんな仕事をやめてるか?」
「でも、農業は人手不足なんでしょ?」
「それは若い人が入ってこんからや。農業は儲からんねん。あとは、単純に年老いて引退する人が多いっていうのもある。それでも農業は崩壊しているわけじゃない。崩壊しかけやけどな」
「つまり・・・人はベーシックインカムをもらっても必要な経済活動に取り組む?」
「たぶんな」
ニケは、その飄々としたビジュアルと相まってやたらと自信満々に見える。そのくせ「たぶん」といった曖昧な言葉をよく使う。本当にニケが正しいのか、正しくないのか、僕にはわからない。
「でも、『たぶん』じゃ納得できない人も多いよ。ちゃんと証拠を見せないと」
「世界中でベーシックインカムの実験は行われてきた。フィンランドの実験は有名や。でもな、必要な仕事をやめる人はほとんどおらんかったらしいで」
「でもさ・・・」
「わかってる。『フィンランドでうまくいったからといって日本で成功するとは限らん』やろ?」
「うん」
「そんなん言い出したらキリないで? 『車にひかれて死ぬ可能性があるから道を歩かん方がいい』みたいな話やで」
「それ、なんか違うんじゃない?」
「一緒や。逆に言うたらベーシックインカムを配らない社会が上手くいく保証はどこにもない」
「そんなことないよ。これまでベーシックインカムなしで上手くやってきたじゃん?」
「いまの社会、上手くいってると思うか?」
ニケの問いかけに言葉が詰まる。退屈そうに会社に向かう父親と、イライラしながら皿を洗う母親。遠くで辛そうに営業を続けるスーツ姿の女性と、迷惑がる母親。自分の人生に嫌気が差して学校をさぼっている僕。この社会は上手くいっているのだろうか?
たしかに食べ物も家もある。空から爆弾が降ってくる心配もない。ゲームや漫画もある。でも、本当にこれが僕たちにとって幸福な社会なのか、僕は自信を持つことができない。
「実際、農業や林業、介護、保育といった経済活動の担い手は減っていく一方や。それやのに、いまの社会は有効な解決策を見つけ出せてない。そんな醜態をさらしている『いまの社会』とやらに固執するのは、あほらしいと思わんか?」
「でも、ベーシックインカムで人手不足が解消されるとは限らないんじゃないの?」
「確実なことはわからん。でもな、経済活動は給料が安い。お金の不安からみんな大学を出て不毛な政治活動の仕事に就こうとするんや。ベーシックインカムでお金の不安がなくなるなら、人の役に立つ仕事をしたいと思う人は増えるんとちゃうか?」
「そんな簡単にいくかな?」
「わからんけど、いまの上手くいってない仕組みに固執する理由もないやろ? よりよい社会の可能性も考えもせず、試しもせずに却下するのは、『聖書にこう書いてるから!』と言って進化論や地動説を否定するのと同じちゃうか?」
「たしかに・・・」
そうかもしれない。なにが正しい社会の仕組みかなんて、議論してみなければ、やってみなければわからない。
「大人もみんなええ加減や。ちょっと質問すればボロが出る。『ああしなさい! こうしなさい!』って言ってることが本当に正しいかなんて、まともに考えたことないねん。哲学者っていうのはな、それをみんなの代わりに考えて、考える必要があることを問いかける仕事や」
「それが哲学者という仕事?」
もしそんな風に考える仕事ができるなら、僕も楽しく生きられるかもしれない。少なくとも、ニケの姿は楽しそうに僕の目に映っている。