権力者に逆らおう

「少年はすぐに質問したがるから、本題に入られへんけど、ベーシックインカムの話で大事なのはこれからや」

「質問したらダメなの?」

「ほら、それもまた質問や」

 ニケは鬼の首をとったようにニヤニヤしながら屁理屈を言う。ウザいけど、嫌いになれない。

「いまの返し、性格悪いね」

「せやろ。哲学者はみんなの代わりに考える人って言ったけどな、見方を変えればただの偏屈なおっさんや」

「それって自慢してるの?」

「別に自慢もなんもしてない。偏屈っていうのはあくまで言葉にすぎないわけや。どんなラベルを貼ろうが、俺は俺やろ?」

「そういうもの?」

「せや。ところで、質問が悪いことかのように言うてしもたけどな、質問は大事や。さっきも言うたけど、大人の言うことを鵜呑みにしてもええことはない」

「そうなの?」

「戦時中の子どもたちは、大人から『戦争は正義』と教えられてたんやで」

 そうか。価値観はたしかに変わってきた。戦争がいまでは悪であるように、労働もニケが言うように悪になる日が来る・・・かもしれない。

「さて、ええ加減、ベーシックインカムの本題に入ろか」

「うん」

 まだ本題ではなかったらしい。ニケの話はやはり長い。

「ベーシックインカムがあれば人々が強制されることはなくなるって話やったな」

「えっと・・・どうしてだっけ?」

「お金が命令に従わせるためのツールとして機能してるって話はしたな」

「覚えてるよ。お金がないと生きていけないから、お金をくれる人の命令に従わざるを得ないってことだよね」

「そう。ベーシックインカムがあればお金をくれる人の命令に従わなくても、路頭に迷うことがなくなる。はじめから生活に必要なお金が配られるわけなんやから」

「つまり、命令が強制的なものじゃなくなる?」

「せや。上司や社長、仕事内容に疑問を抱いたなら、即座に辞められるようになる。そうなれば過剰な政治活動や売れ残ることがわかりきってる恵方巻きづくりみたいな仕事からは、みんな離れていく。そして本当にやりたいと思うことや意味があると感じることにみんなが取り組めるようになるんや」

「たしかに理屈の上ではそうだけどさ・・・」

「ベーシックインカムのメリットはそれだけじゃないで」

「なに?」

「少年、最初にこの社会ではセクハラやパワハラが横行してるって話をしてたな。あれも解決できる」

「どうして?」

「セクハラに耐えなあかんのも、セクハラしてくる上司や客、先輩に逆らったら食っていかれへんくなるからとちゃうか? パワハラも同じや。逆らっても飯を食うていくことが可能なら、誰が黙ってセクハラやパワハラに耐えるやろか?」

「そういうものなのかな・・・」

「せや。セクハラやパワハラって、『金を持ってる側』から『金を持っていない側』に行われていて、逆はないやろ?」

 想像してみる。たしかに、部下が上司にパワハラやセクハラをする光景は思い浮かばない。

「たしかに」

「それが可能なのは金が持つ権力のおかげや。金の権力が弱まったら、セクハラもパワハラも不可能や。セクハラやパワハラが起きたら対策委員会みたいな組織を立ち上げるのが定石やけどな、あんなもん茶番や。金が生み出す権力構造が変わらない限りなんの解決にもならん」

「でも、ベーシックインカムを受け取ったくらいで、そんなに強く反抗できるかな?」

「まぁ面と向かって言うのはむずかしいかもしらん。でも、その場を離れるくらいのことはできるはずや」

 ベーシックインカムが配られている状況で、上司にパワハラをされる場面を想像してみる。たしかに、僕ならその状況で何年も働き続けることはしない。

「企業の不祥事も同じやで。自動車メーカーが検査結果を誤魔化してたとか、そういうニュースよく聞くやろ?」

「それも関係あるの?」

「あんなんもな、利益のために上司が命令してくるから仕方なく不正してるんや。好き好んで不正したい人なんかおらんねん」

「そういうものかな・・・」

「せや。ベーシックインカムさえあれば、不正に手を染めるように圧力がかかったら『それはおかしい!』って声を上げられる人も増える。そこまでしなくても、その場を離れる人は増えるはずやろ?」

 言われてみればそうかもしれない。不正をすれば後ろめたい気持ちになることは誰でも知っている。そんなことはわかっていたはずなのに、不祥事のニュースを見たときは「どこかに悪者がいて、そいつのせいなんだ」と、これまでの僕は無自覚のうちに考えていた。

「あとな、さっき少年はお金持ちにベーシックインカムを配る必要はないって言ったけどな、実はお金持ちにも配るのは大切なんや」

「どうして?」

「お金持ちといえども、いつビジネスに失敗して路頭に迷うかわからへん。だからできるだけ金儲けしようとするんや。でもな、たとえ失敗しても、路頭に迷わないとわかったら・・・」

「いまほどに金儲けをする必要はなくなる?」

「せや。ほんで、仮に金儲けしようと思っても、理不尽な命令に従ってくれる労働者はもうおらん。金持ちの命令にみんなが逆らえるようになるんや」

「となると、お金儲けをするのはむずかしくなる?」

「そう。金儲けは社会の役に立ってるとは限らんし、むしろ金儲けのための政治活動でみんなが疲弊してることはもう理解したやろ? つまり、金儲けへ向かうエネルギーがベーシックインカムで削り取られるのはいいことなんや」