あとがき

 先述した通り、最近、BIに関する議論は盛り上がりつつある。しかし、十分だとは思えない。BI賛成派の主張すら「BIは社会保障を一本化するなど財政的なメリットがある」なとという枝葉末節の議論で満足している始末である。

 私から言わせれば、スマホのメリットを聞かれて「いつでも電卓が使える」と答えるようなものだ。繰り返すがBIには犯罪率の低下、環境保護、健康状態の改善など、人類が頭を悩ませていたありとあらゆる問題を解決するポテンシャルがある。それだけのメリットが想定されるのであれば、清水の舞台から飛び降りるような向こう見ずな気持ちでBIを導入してもいいとすら、私は感じている。とはいえ、それでは誰も納得しない。だからその根拠を書くしかないと決意したのだ。

 私は経済学者でも政治学者でもない、一介の自称哲学者である。そのため、不確かな情報源や、曖昧な論理構造、楽観的な希望的観測でこの本が溢れかえっていることは自覚している。

 だが、言い訳するようだが、そのことは私の主張が間違っている根拠にはならない。細かいデータが間違っていたとしても、大まかな方向性が間違っているとは限らないのだ。細かいミスを指摘していただくことは感謝し、歓迎するものの、それをもってBIに関する議論が終了したかのような顔をすることはできない。

 とにかく私は議論したいのである。BIは日本を救う・・・いや世界を救う可能性を秘めているのだ。日本が成功したなら各国は後を追い始め、世界中でBIが実現していくに違いない。それだけ重要なテーマなのだから、家庭や職場、学校や酒場のあちこちで議論が巻き起こっていて然るべきだろう。

 もちろん、BIが実現したからと言って、即座に全てが解決するわけではない。時間をかけてゆっくり良くなっていくものもあるだろうし、思いもよらなかったトラブルもあるはずだ。だが、そういうトラブルにも対処するだけの力を、私たちは持っている。

 人間とは、なんとかする生き物である。トラブルが起きても、なんとかやってきた。本質的に怠惰で、創意工夫ができず、つまらない欲望に流されるだけの生き物だったなら、アフリカのサバンナでとっくの昔にのたれ死んでいただろう。

 だから私も、私の本が誰かに届き、誰かが耳を傾けてくれることを信じたい。これからの時代をなんとかするために、私と議論してくれることを信じたい。もちろん、あなたは紛れもなくその一人である。