解説(ホモ・ネーモ)

 『労働廃絶論』ほど誤解されている文章はない。たとえばBBCの記事(The rise of the anti-work movement 二〇二四年七月八日閲覧)では、明らかに誤った解釈が披露されている。

 「多くの労働者は労働に辟易している。・・・ただなんとなく労働に拒否感を抱くだけではなく、意識的な労働拒絶運動が生じても不思議ではない」とブラック氏は書き、人々は必要な労働だけを行い、残りの時間は家族や個人的な情熱に捧げるべきだと示唆している。

 BBCのこの誤読は「労働廃絶」という言葉を聞いた人々に典型的な誤読である。要するに「週四十時間は働きすぎなのだから、無駄な労働を極力減らして、週十時間労働くらいに減らそう」という話である。これを「労働短縮論」とでも呼ぼう。労働を攻撃する論調は労働短縮論以外、ほとんど存在しないかのような扱いを受けている。そのため、まったく異なる主張を行うブラックの『労働廃絶論』も、労働短縮論で強引に解釈されてしまうのである。両者は似て非なるものである。ブラックは「人々は必要な労働だけを行い、残りの時間はプライベートに捧げるべき」なんてことは言っていない。彼は、労働を減らすのではなく撲滅し、人生を丸々遊ぶべきであると主張しているのである。これは難解な比喩表現でもなんでもない。文字通りの意味であるが、残念ながらブラックの主張は真剣に受け取られているとは言い難い。労働に批判的な人々ですら、労働短縮論から抜け出すことはなく、労働の撲滅に乗り出そうとはしなかった。そのために必要な概念的転回、言い換えればコペルニクス的転回がブラックによって成し遂げられていることを、誰も理解できなかったのである。唯一、私がブラックの思想を継承し打ち立てたアンチワーク哲学だけが、労働の撲滅というプロジェクトに取り組んでいる(詳しくは拙著『14歳からのアンチワーク哲学 なぜ僕らは働きたくないのか?を参照のこと)。しかし、残念ながらまだまだ社会を揺るがすインパクトを起こすには程遠い。

 だからこそ今回、アンチワーク哲学の原点となる『労働廃絶論』を新たに翻訳し、解説文を加えることにした。今回の翻訳文は、できるだけ著者のボブ・ブラックの意図を正確に伝えるため、原文の構造を大きくアレンジすることなく忠実に訳している。ブラックはわかりやすい表現で、ありのままに書いているとはいえ、日本語として意図をくみ取りづらい箇所も多いと思われる。そこで本書の後半では、『労働廃絶論』への理解をさらに深めていただく狙いで、解説文をお届けする。