君は君の役に立て

「ちょっと詳しく聞かせてよ」

「お、アンチワーク哲学に興味あるんか?」

 まるで「お、釣れた釣れた」とでも言うようなテンションだ。釣られたと思うと腑に落ちないものの、しばらくは付き合ってもいいだろう。

「どうせ暇していたし」

「暇なんやったら学校行けばよかったやん」

「それが嫌って話、さっきしたでしょ?」

「そうやったな。少年、役に立つことして偉いなぁ」

「え? どういうこと? むしろ役に立たないことをしてるんだけど?」

 男の言うことは、やはり意味がわからない。

「どうしてそう思うんや?」

「だって、『役に立つ』って受験勉強みたいに、将来の役に立つことを意味するんじゃないの?」

 僕の言葉を聞いて男は「計画通り」とでも言わんばかりに、頬に笑いを含ませる。思い描いたシナリオ通りに、僕が返事をしているみたいだ。

「なら、そうまでして目指す『将来』ってなんや?」

「それは・・・いい企業に就職すること?」

「どうしていい企業に就職したら役に立ったことになるんや?」

「いい企業に就職すれば、給料がたくさんもらえるからじゃないの」

「なんで給料をたくさんもらえたら、役に立ったことになるんや?」

「いつまで質問つづけるの?」

「いいから、考えてみ」

「うーん」

 なにを答えても質問で返されてばかりだ。それでも、どうやら男の質問は、文字通りの「質問」らしい。普段、先生や親から受ける質問(「どうして勉強していないの?」)のように、答えた途端に「それは言い訳だよね?」と蓋をされるようなことはなさそうだ。

「お金を儲けたら家族を養えるから?」

「じゃあ銀行強盗に成功して、そのお金で家族を養ったら役に立ったことになるんか?」

「そりゃあならないよ。銀行強盗は単に略奪しただけ。きちんと仕事をして、誰かの役に立って、給料をもらわないと」

「なるほど。なら、質問は元に戻ってきたな。大企業で働いてたくさん給料をもらうということは、誰かの役に立ってることを意味するんやな? じゃあ『誰かの役に立つ』ってどういうことや?」

 考えすぎて脳みそが筋肉疲労を起こしているのを感じる。あれだけ受験勉強しているのに、運動不足の脳みそに無理やり筋トレをやらせてるような気分だ。

「うーん、つまり『なんのために仕事するのか?』ってことだよね。それは『誰かを喜ばせるため』じゃないかな? 食べ物をつくれば食べる人が喜ぶし、漫画を描けば読んだ人が喜ぶわけだし」

「なるほどな」

「あとは『誰かの苦しみを取り除くため』も、かな。皿洗いに苦労している人のために食洗機をつくれば、皿洗いという苦しみを取り除いていて、それは役に立っているよね」

 いつもイライラしながら皿を洗う母親を思い出しながら、僕は付け加えた。

「そうやな。で、少年は誰かにとっての『誰か』やろ?」

「ん? そうだね」

「なら、少年が喜んだり、少年の苦しみが取り除かれたりすれば、それは『役に立つこと』やろ?」

「まぁ・・・他の人からすればそうだよね」

「他の人からしてそうなら、少年からしてもそうや。大人たちは少年を喜ばせたり、少年の苦しみを取り除くために、朝から晩まで働いて食べ物や漫画をつくってる。それやのに少年が行きたくもない学校に行って自ら苦しんだなら、大人たちはなんのために役に立とうとしているのかわからんやろ? だったら、少年はゲームでもアニメでも好きなことをやって、嫌なことから逃げればええ。それが『役に立つ』ってことなんや」

「好きなことは、役に立つこと?」

「そう。それは社会貢献みたいなもんや。少年は社会の一員なんやから」

 一体どういうことだろう? これまで僕は、我慢することが「役に立つこと」なのだと、大人たちに教えられてきた。我慢して我慢して、歩き続けたら、いつの日か泉のように湧き出る「好きなこと」を思いっきり味わう未来がやってくるのだと言い聞かされていた。

 でも、この男は違った。いま目の前にある「好きなこと」を味わえばいい。それが「役に立つこと」なのだと言う。バカバカしい屁理屈かもしれない。でも、そんな風に生きられたなら、どんなにいいか。

「アンチワーク哲学は『好きなことをやって、嫌なことから逃げろ』って主張する哲学や。そうすればみんなが幸せになるっていうことを証明しようとしてるねん」