学歴は金儲けの許可証
大人たちの大部分が日がな一日、社会全体としては無駄な穴掘りゲームに興じている。そんなことに言われてショックを受けなかったと言えば嘘になる。「働くこと」は大切で、みんなの役に立つことで、大人としての重要な責務。そんな風に教えられてきたからだ。
「この状況は深刻や。お金を稼げる政治活動の仕事にみんなが就こうとした結果、競争が激しくなってみんなが消耗している。その一方で、本当に必要な農家やドライバー、職人といった経済活動にまつわる仕事はおしなべて人手不足なんや」
「でも・・・」
社会全体として非効率なのだとしても、それでもお金を稼がなければならないのは事実。だったら、個人が幸せになるには、お金を効率的に稼ぐことができる政治活動に取り組むのは当然ではないだろうか。
「そうなるのは仕方ないよね。みんなお金は欲しいわけだし」
「それはその通りや。でも、仕方ないと諦めるべきやろうか? 政治活動が過熱するだけじゃなくて、政治活動への参加権の獲得競争もどんどん過熱してるんやで」
「どういうこと?」
「受験や。みんな受験して大学に行こうとするやろ。あれは金を効率的に稼ぐことができる政治活動への参加権を巡って争ってるんや」
「大学は勉強するためのところじゃないの?」
大学。そのキーワードを聞いて、少しだけ現実に引き戻される。そういえば勉強から逃れたくて、学校をサボっていたんだった。
「その辺の大人に聞いてみ? 大学に勉強しに行く奴なんかほとんどおらんで。偽装出席やレポートの代筆なんか日常茶飯事で、どいもこいつもバイトとサークル三昧。大学っていうのはな、四年間遊んで肩書きをもらいにいくところなんや。真面目に勉強しに行く奴もおるけどな、そういう奴は変人扱いされるねん」
「肩書き? 勉強しに行く奴は変人?」
「せや、ちょっと考えてみて欲しいねんけどな。自分が就活生やとしたら東大卒の学歴か、東大卒相当の能力のどっちが欲しいと思う?」
「それは・・・」
東大卒相当の能力・・・と言われてもピンとこない。面接の場でむずかしい数式を解いたら採用されるわけでもないだろうし、そもそもスタートラインにすら立てないかもしれないし。
「学歴の方が欲しいかもね」
「やろ? 能力だけあっても学歴がなければ面接にすら呼ばれへん。逆に学歴があれば、面接さえうまくしのげば誰もが羨む大企業に滑り込める。つまり大学生の本音はこうや。『代筆なり偽装出席なりでその場を凌いで肩書きだけもらってあとは面接で美辞麗句を並べて大企業に滑り込めば人生安泰』ってな」
「だから大学は肩書をもらいに行くところって言いたいの?」
理屈はわかるが、さすがにそれだけでは納得できない。
「納得できんなら別の角度から考えよか。大卒で、農家とかトラックの運転手みたいな経済活動の仕事をする人はどれくらいおると思う?」
「どうだろう。そういう仕事は高卒とか中卒の人がやっているイメージだね」
「逆に、政治活動・・・つまり広告業界で働く人やスーツを着て営業する人といえば・・・」
「大卒のイメージだね」
「そう。つまり大卒の学歴がなければ政治活動に参加できへんやろ? これは大卒の学歴が許可証みたいなものとして機能してるってことと違うか?」
「でもさ、具体的に覚えていないのだとしても、身についているスキルはあるのかもしれないよ?」
「偽装出席して、レポートを代筆してもらってもか?」
「そういう要領の良さを学ぶ場でもあるとか・・・」
「そんなこと、わざわざ高い学費払ってやることか? 人狼ゲームでもやっとけばええやろ?」
「それでもやっぱり、受験に勝ち残れるかどうかによって、地頭の良さとか忍耐力とかが測れるよね。大学では遊んでいるのだとしても、受験に受かってるなら、地頭がいい証拠じゃない? トラックを運転するような仕事は誰でもできるけど、広告の仕事は頭が良くないとむずかしそうだし・・・」
「ほな、別にテストだけやればええんとちゃうか? わざわざ大学に通う必要があるか? 学費は高いし、大学には税金もバカみたいに投入されてるんやで」
「それは・・・」
「あとな、トラック運転手は思っているより単純じゃないし、広告の仕事は思っているほどむずかしくない」
「どうしてわかるの?」
「俺は両方やったことがあるねん」
この男、けっこう経験豊富なのかもしれない。
「まぁそんな話はええねん。ともかく、学歴によって人々がふるいにかけられているのは事実や。大手企業の総合職には、有名大卒のエリートばっかりが集まってるわけや」
「でも、やっぱり有名大学を卒業しているくらいだから、能力は高いんじゃないの?」
「実際、優秀やと思う。でもな、世の中の役に立っているとは限らんねん」
「その人たちが政治活動をやっているから?」
「そう。傾向として、大卒のエリートは政治活動に携わるわけや。で、政治活動を上手くやるということは、性能のいい椅子をつくったり、子どものオムツを手早く替えたりするのとは違う。上手にお金を集めてくるだけや。無人島のたとえで言えば、めちゃめちゃ穴掘りゲームが得意な人が大卒のエリートなんや」
スーツを着て、髪の毛をテカテカに固めたエリートサラリーマンが無人島で穴掘りゲームに興じている場面が脳裏をよぎる。
「で、たくさん給料をもらう。問題はここや」
「え? なにが問題なの?」
「有名大学を卒業して、政治活動を上手くやれば、金持ちになれるんや。仮に社会全体を豊かにすることにはならんとはいえ、個人としてみれば金持ちになれる。なら、自分の子どもを椅子取りゲームで勝たせようとするのは当然のことやろ? 少年の親は、少年を椅子取りゲームに勝たせようとしているわけや」
「椅子取りゲーム・・・?」
「で、ほかの親も同じ。みんな子どもに裕福になってほしい。だから受験勉強をさせる。『受験戦争』っていう言葉は比喩でもなんでもない。本当に落とし合いの戦争なんや」
「戦争って・・・」
まるで勉強をしている自分が悪い侵略者だと言われているようだった。それに僕のお母さんも・・・
「もちろん、少年の親を悪く言うつもりはない。自分の子どもに裕福になってほしいと願うのは、当然の親心や。でも、それが社会全体としていいことかどうかは、また別問題やねん」
自分の子どものためになるけど、社会のためにはならない。そんなことを言われても、僕はどうすればいいんだろうか?
「ほんで、不安な親を煽り立てて金を儲けようとするのが教育業界やな」
「どういうこと?」
「教育業界の人々が頑張って儲けようとした結果、日本全体で教育に注がれるお金は年々右肩上がりや。昔は大卒の人なんてほとんどおらんかったけど、いまは半分が大卒。最近は幼少期から英語やプログラミングを教えたり、小学校受験や中学校受験させたりする親も増えてる。塾に通うのが当たり前で、友達と遊ぶ時間も減ってるやろなぁ」
僕も中学受験をさせられて、いまの私立中学に通っている。そういえば小さい頃、英語スクールにも通っていたっけ。
「さて、子どもはどんな風に感じてるやろか?」
「どうだろう? 勉強が楽しいならいいけど、嫌々やらされてるなら『もっと遊びたい』と思ってるかもね」
「せやろ」
「でも、自分の将来のためなんだし・・・」
「そうかもしらん。でも、社会のためにはならんって話をしたやろ? だったらみんなで勉強するのをやめて公園で遊んでた方がええんとちゃうか?」
「みんなで遊んでた方がいい?」
「そう。自分一人だけ椅子取りゲームをやめたら自分だけが貧乏になるから、みんな椅子取りゲームをやめられない。でも、その営みは社会全体としてはなにも生み出してない。なら、さっさとみんなでやめればええんや」