家族はフィクション

 お金が配られれば、権力者に逆らうことができる。そんな風に考えたことはなかった。でも、たしかにそうだ。僕だって将来受け取るお金のため、将来生きていくために、親や先生の命令に不満があっても従っている。

 でも、もし本当に権力者に逆らえるようになったら、みんなが好き勝手に振る舞って社会が犯罪まみれになるんじゃないだろうか? そういえば、ニケはさっき「犯罪があるのは労働のせい」って言っていたっけ。むしろ、逆のような気もする。みんなが自由に振る舞えば、街は犯罪で溢れかえるはずだ。いったいあれはどういう意味なんだろう。

「そういえば、ニケはさっき『労働が撲滅されれば犯罪がなくなる』って言っていたよね。あれはどういう意味だったの?」

「あぁ、簡単やろ。ベーシックインカムのおかげで労働しなくても生活できることが保証された社会で、誰が殺人事件を起こすやろか? 誰が強盗や詐欺を働くやろか?」

 ニケは「当然やろ」とでも言わんばかりの表情だ。そんな単純な話なのだろうか?

「でもさ、それって性善説だよね? 悪い奴はお金が配られても満足しないんじゃないの?」

「少年は、もし今日のご飯にも困るほど貧乏になったら、食い逃げするか? あるいはスリか、強盗か、詐欺はするか?」

「どうだろう・・・もしかしたらするかもしれないね」

「やろ? じゃあお金があったらするか?」

「・・・しないね」

「少年は稀に見る善人か?」

「違うね」

「いたって平凡な少年やろ?」

 面と向かって「平凡」と言われるのは複雑な気持ちだが、認めざるを得ない。

「悪かったね、僕は平凡な少年だよ」

「悪くないから平凡やねん。それとな、犯罪率と貧困率には強い相関があることは事実や。平凡な人も、貧困に陥れば犯罪に手を染めてしまう。逆に生活に余裕があれば犯罪に手を染める可能性は低い。殺人事件がどこでよく起こってるか知ってるか?」

「山奥の洋館とか?」

「コナンの読みすぎや。正解はな、家庭の中や」

「家庭の中?」

「殺人事件の大半は家族間で起こってるんや。どうしてやと思う?」

「うーん、遺産相続で揉めたとか?」

「それもあるやろけどな。さっき『殺したいほど嫌いな奴がいてもその場を離れるのが普通』って話をしたやろ」

「したっけ?」

 僕は昔から記憶力が悪い。昔の話の内容や人名を覚えていることを前提に話を進められると、ついていけなくなる。だから、自分が小説を書くなら、登場人物が一人か二人くらいの短い話を書こうと決めている。

「まぁ忘れててもかまへん。とにかくな、殺したいほど嫌いな奴がいても、逃げられへん場所の代表格が家庭なんや」

「家庭からは逃げられない?」

「そう。仮に少年がご両親のことをめちゃくちゃ嫌いやったとしよう。でも逃げられるか?」

「そこまで嫌いではないよ」

「たとえばの話やんけ」

 ニケにはデリカシーがない。たとえばの話でも、そんな失礼な想定はしないのが常識だろう。もっとも、ずかずかとタブーに踏み込むニケの姿は嫌いではないのだけれど。

「まぁ、無理だね」

「お母さんがお父さんのことを嫌いやったとして、少年を連れて逃げようとしたらどうや?」

「お母さんだけの収入じゃ、生活は苦しいだろうね」

「そう。でもなベーシックインカムがあれば逃げられるんや」

「え?」

「お母さんと少年の分のベーシックインカムがあれば、あとはちょっとパートに出るくらいで、十分やっていけるやろ。なら殺したいほど嫌いな相手との離婚を思いとどまる必要があるか?」

「たしかにそうだね」

「あとな、少年が一人で家出するのも簡単や。少年にもベーシックインカムが支給されるんやから」

「中学生が一人では生きていけないよ」

「どっか優しい大人の家にでも転がり込めばええやろ。中学生一人分の生活費なんかたかが知れてるし、ベーシックインカムで賄える。これから少子化で独居老人も増えていくわけやし、一人で寂しい思いをしている人はいくらでもおるやろ」

 ベーシックインカムがあれば簡単に家出できる? なんだか犯罪に巻き込まれそうな予感がするけど、そんなことをしていいのだろうか? もしそうなったら僕は家出するだろうか?

「でも、家族の絆ってそんな簡単に壊れていいの?」

「絆もクソもあるか。言ったやろ。殺人の半分は家庭で起きてるんや。あと、日本の離婚率がどれくらい高いか調べてみたらええわ」

 そう言われれば、親が離婚した話や、親同士で暴力沙汰になるまで喧嘩をした話を、友達から聞いたことがある。

「それにな、生殺与奪の権を握ることで保たれてる絆なんかな、本物の絆と言えるか? 絆っていうのは、好きに離れられる状況にあっても離れたくないと思うことやろ?」

 ニケはたまに核心を突く。たしかに「離れたくても離れられない」という関係を、絆によって結ばれた関係と呼ぶのは無理がある。

「血縁っていう関係に無理やり縛り付けられているから、ストレスが溜まって殺人や離婚に繋がってる。だから、血縁というフィクションは解体したほうがいい」

「血縁はフィクション? どういうこと?」

「血が繋がってるからといって、一緒に住む理由になるか?」

「そりゃあなるでしょ。家族なんだし」

「別に一緒に住まないことも可能やし、逆に血縁がなくても強固な絆で結ばれている人たちもいくらでもおるよな?」

「まぁ。そうだね」

「血縁があるから一緒に住まなあかんっていうのも思い込みなんや。別に好きにやればええんや」

 親子じゃないけど、親子よりも強い絆で結ばれた関係。漫画やアニメでもよく見かける設定だ。僕は偽物だと切り捨てることなく、そこにリアルな感情を感じ取っている。ニケの言う通り、親子という関係にこだわる必要はないのかもしれない。

「あとな、離れられるのは家庭だけじゃない。学校もそうや」

「学校も? どうして?」

「学校を辞めようとしたらご両親がなんて言うと思う?」

「どうだろ。『もう少し頑張れ』とか『そんなんじゃ将来困るぞ』とかかな?」

「ベーシックインカムがあればな、学校辞めても別に将来困らへんねん」

「路頭に迷うことはないから?」

「そう。だから学校なんかいつでも辞めたらよくなる」

「でも、そんなんじゃ誰も勉強しなくなるし・・・」

「勉強が椅子取りゲームと穴掘りゲームのためのものになってるって話、覚えてるやろ?」

 そういえば、そうだった。

「それにな、いじめで自殺する子は毎年現れる。自殺するくらいなら学校なんか行かんと家でゲームやってたほうがマシやろ?」

 自殺するくらいならゲームしている方がマシ。たしかにその通りだ。それは僕だって・・・

「重要なイノベーションを起こすような子どもは、勝手に勉強するやろ。好きな勉強ならとことんやらせたったらええ。でも、やりたないなら、やらん方がええんや」