あれもこれも欲望

 行為とは自分の意志で変化を起こすこと。仮にすべて事前に決定されているのだとしても、少なくとも本人は「自分の意志で変化を起こした」と感じている。ここまでは理解できた。でも、この話が「ベーシックインカムが配られても人が働くのか?」という僕の質問とどう関係するのだろうか?

「『それがどんな関係があるの?』って顔しとるな」

 バレた。ニケはまるで少し先の未来を見ているようだ。

「うん」

「まぁ焦るなや。アンチワーク哲学では行為とは『自分の意志で変化を引き起こすこと』と定義する。で、意志とは欲望とも言い換えられる。貢献欲は欲望の一つや」

「貢献も変化を引き起こすの?」

「そう。人に貢献することも変化を起こすやろ。ご飯をつくってあげれば、相手はお腹がいっぱいになるし、喜ぶ。それに、自分のことを好きになってくれるかも知らん」

「たしかにそうだね」

「逆に食べることもお腹が膨らみ、満腹感を味わうという変化が起きる。それは食欲と呼ばれる欲望が突き動かしてるわけや」

 つまり、行為とは自分の欲望で変化を起こすこと。むずかしいが、ここまでは理解できた・・・気がする。

「で、欲望は大きいものから小さいものまでさまざまや。パンツが食い込んでるからなおしたいと思うのも欲望やし、パンを食べたい気持ちも欲望、第二次世界大戦を引き起こしたい気持ちも欲望やな」

 第二次世界大戦を引き起こしたい人って、そんな人いるのだろうか?

「つまり、欲望の種類は人間の行動の種類だけ存在するってことや。人間はパンツをなおすし、パンを食べるし、第二次世界大戦を引き起こす。ここで言いたいことは、それを引き起こしているのは食欲や睡眠欲、金銭欲といった限られた欲望だけではなく、『パンツをなおす欲』『第二次世界大戦を引き起こす欲』みたいな多様な欲望があるってことや」

「でも、食欲は存在しないって最初に言ったよね?」

「せや。現実に存在するわけではない。でも、存在すると仮定して考えると便利っちゅうことや。虚数って聞いたことあるか?」

 キョスウ? 初耳だ。

「えーっと」

「まぁええ。高校の数学で習うから、そのときに思い出せ。つまり、実際には存在しないけど、思考の過程において存在すると仮定した方が都合のいい概念っていうのはある」

「そういうものなの?」

「まぁこの辺は余談や。とにかく人間は多種多様な欲望を持つ。ここまではええな?」

「うん」

「人は食べることを欲望するし、誰かに料理を振る舞うことも欲望する。それぞれの欲望は事実として平等に観察すべきなんや」

「どういうこと?」

「食欲や性欲、睡眠欲、あるいは名誉欲や金銭欲という言葉はすでに存在する。でも、貢献欲という言葉は存在していない。だから、あたかも名前のついた欲望だけが真の欲望であって、それ以外を人が欲する場合は『真の欲望』を取り繕っているだけかのような印象を与えてしまう。だから中二病的な勘違いが蔓延してるんやけど、これは宗教みたいなもんや」

「どういうこと? 貢献欲の方が、宗教っぽいけど?」

「逆や。あらゆる行動の理由を欲望だと解釈するのは、事実を平等に評価しているやろ? でもあらゆる行動の原因を食欲や金銭欲みたいなもので説明しようとするのは、『すべては神の御業』って説明するのと同じちゃうか?」

 言われてみれば、そうかもしれない。

「でも人間は食欲の方が大きいのは事実じゃない? だからお金を配られたら食べる人ばっかりで、つくる人がいなくなる」

 そういえば最初の方にもこんな話をした気がする。話題がループしているようだ。

「じゃあこう考えてみたらどうや? 少年はお正月に孫がやってくるのを楽しみにしているおばあちゃんやとしよう」

「また『たとえば』の話?」

「ええから聞いてくれや。ほんでな、おばあちゃんは孫のためにおせち料理を用意するとしよう」

「うん」

「でも孫がやってきて『僕はお腹が空いてないからおばあちゃんがぜんぶ食べなよ』って言ったらどう思う?」

「そりゃあ・・・」

 想像してみる。きっと、そんな状況以上に悲しい気持ちを抱くことはないだろう。

「悲しくなるかもね」

「せやろ。でも不思議とちゃうか? もし食欲の方が大きいんやったら、遠慮してくれる方が嬉しいはずや」

「でも、どうせ自分ひとりでは食べきれないじゃん?」

「せやろか? おせち料理やったら冷蔵庫に入れとけばしばらく日持ちするで? そうすれば次の日におばあちゃんはご飯をつくる手間をかけずに済む。でも『ラッキー』だなんて思わんやろ?」

「そうかもしれないけど、それは自分の孫だからであって、おばあちゃんだって誰にでも料理をつくるわけじゃないし・・・」

「ほな、はじめてやってきた見ず知らずのお客さんでもええわ。お客さんに料理を振る舞って一緒に食べるか、自分の分だけつくって自分だけ食べるか、どっちが満足感あるやろか?」

「それは・・・」

 たしかに、一緒にご飯を食べる方が楽しいだろうなぁ。

「おばあちゃんだけやない。三歳くらいの子どもと暮らしてみたらわかるけどな、あいつら『なに食って生きてるんや?』と思うくらい、ぜんぜん飯食わへんくせに拙い手つきで料理を手伝おうとするねん」

「へぇ」

「これも子どもが貢献欲を持っている証拠や」

「それって料理に興味があるだけであって、貢献欲とは関係ないんじゃない?」

「言ったやろ、真の理由を考えるだけ無駄やって。料理を手伝うという行為そのものは、誰かに対する貢献や。なら、人が貢献につながる行為を欲しているという事実は疑いようがないやろ?」

「だとしても、子どもは失敗してばかりで、ぜんぜん役に立たないんじゃないの?」

「まぁその通りや。でもな、だからといって、欲望は嘘にならん。ご飯を食べ損ねたからといって食欲がないことにはならんのと同じや」

 たしかにその通りだ。ニケはいつだって流れるように説明する。

「もちろん、人間の欲望の対象は状況によって変わる。戦時中みたいに食べ物がないときは、みんな我先にと食べ物に群がって、他人に分け与える余裕なんかなかったはずや」

 歴史の授業の一環で、百歳を超えたお年寄りにそんな話を聞いたことがある。食べるものがなくて大変だったって。いまはたくさん食べ物があるけど、戦争のことを忘れずに大切に食べないとダメだとかなんとか言われたっけ。

「で、要するにな・・・」

「要するに?」

「人はありとあらゆる欲望を持つわけや。それやのに食欲や性欲や睡眠欲みたいに名前のついている欲望ばかりが注目されるのはおかしいってことや。食欲なんかたいしたことないねん」