他人を道具にする方法
「でも、もし本当に労働が悪で、労働がなくても人間が自発的に貢献するなら、別に放っておけばよかったんじゃない?」
「ん? どういうことや?」
「勝手に人が貢献するなら、わざわざお金を渡して労働してもらう必要はなかったはずでしょ? なら、どうして僕たちの社会には強制・・・つまり労働が存在するの? それに、どうしてみんな貢献欲がないと思っているの?」
「さすがは俺の見込んだ少年。いい質問やな」
また褒められた。ニケの掌の上で踊っているようで、なんだか釈然としない。それでも僕は、続きを聞きたいという欲望に抗うことはできない。
「力への意志の話は覚えてるな?」
「うん。変化を起こす能力を増大させていくエネルギーだよね。練習して、自転車や車の運転を覚えていくような・・・」
成長欲の方が分かりやすいという僕の意見は、どうやらなかったことになっているらしい。
「そう。ほんでここからが恐ろしい話やねんけどな・・・」
ニケは急に怪談を話すように、声のトーンを大げさに落とし、間を作った。でも、別に怖くはない。
「もったいぶらずに言ってよ」
「趣のない奴やな・・・あんな、力への意志は自転車や車のかわりに他人へと向かうこともあるねん」
「他人?」
「そう。たとえば他人に暴力を振るって、痛がる様子を見てゲラゲラ笑う同級生はおらんか?」
「え?」
心臓をギュッと掴まれるような気持ちになる。そういえばこの前、掃除の時間に教室の隅でお尻を蹴られたことがあったっけ。
「まぁ・・・いるね」
「あれもな、他人に変化を起こして楽しんでいるわけや」
「やっぱり人間ってクズなんだね」
僕はお尻を蹴ってきた同級生の顔を思い浮かべながら言った。
「まぁ学校ってのはいじめくらいしかやることがないねん。力への意志をことごとく封じ込められている環境やからな」
「どういうこと?」
「学校は、ありとあらゆる自発的な行為が禁止されて、ルール通りに振る舞うことが求められる場やろ?」
「まぁ・・・」
その通りだ。僕たちは時間通りに学校に行くことを強制され、制服の着方から、列の作り方、教科書の置き場所まで、理不尽なほどに管理される。自分の意志でなにかに取り組むような経験はほとんど得られない。
「そうなると人は力への意志を挫かれる。でも、力への意志はなくならない。だからどこか違う場所で力への意志を発揮したくなる」
「それが・・・いじめ?」
「そういうことや。あとは、やたらとルールを押し付けてくる風紀委員っておらんか?」
「いるね。先生じゃないくせに、まるで自分が先生になったように指図してくる生徒が」
「せやろ。あれも力への意志の仕業や。その風紀委員は自分の意志で、他の生徒をコントロールし、変化させているという手応えを感じたいんやな」
なるほど。そんなふうに分析すると、いじめっ子も、風紀委員も、なんだか滑稽に思えてくる。
「学校という環境が悪いんや。まぁそれは置いといて、人間は道具を使ってできることを増やしていくように、他人を使ってできることを増やしていく場合もあるわけやな」
「それは他人を道具として扱うってことだよね?」
「そう。包丁の使い方を覚えるように、他人の使い方を覚える。殴って反応を見て笑う。次はパシる。大人になれば部下をアゴで使う。「茶!」と一言伝えるだけで茶を用意するように奥さんを使う。店員に偉そうに命令する。そうすれば、自分の影響力が拡大していることを味わえる。権力者の完成やな」
包丁を使うように、他人を道具として扱う。ゾッとしない話だけれど、言われてみれば親や先生の命令に従うときは、道具扱いされているような気分になったこともある。