力への意志と社畜心理について

 「力への意志」は哲学者ニーチェの用語です(「権力への意志」と翻訳される場合もあります)。ニーチェはこの言葉を「我がものとし、支配し、より以上のものとなり、より強いものとなろうとする意欲」と定義しました。アンチワーク哲学ではこれを拡大解釈し、「自分の意志で世界に変化を起こすことや、その能力を拡大する意欲」と考えます。これは赤ん坊がペンを転がして遊ぶといった単純な行為から、魚を三枚におろす行為、家を建てる行為、誰かを顎で使う行為まで、人間のあらゆる行為の背景に常に存在するエネルギーであると、アンチワーク哲学は解釈します。

 労働においては自分の意志で行為することがむずかしく、力への意志が抑圧されていると言えますが、かろうじて力への意志が発揮された状態を保つことは可能です。つまり「自分は納得して、望んで支配されているのだ」という風に自己正当化を行うことで、「自分の意志で世界に変化を起こしている」という認識を保ち続けるのです(先述したマックス・ウェーバーの支配の3分類とは、この自己正当化を促進するプロセスだと言えるでしょう)。

 「力への意志」がどれほど強烈かは、逆から考えれば理解できます。「自分は、自分の意志で行動しているわけではなく、常に不本意に誰かに操られている」と感じながら生きることがどれだけ苦痛かを想像してみてください。その認識のまま生きている人が、精神を病んでしまうことは想像に難くありません。だからこそ人間は自己防衛として、支配されることを欲望しているのだと思い込むのです。

 これが、アンチワーク哲学のいう「社畜心理」です。社畜の自慢話は「奴隷が鎖を自慢している」などと揶揄されることがありますが、そうでもしなければ彼らの心は壊れてしまうのです。

 さて、労働の辛さがこの点にあると考えた場合、現代社会の労働観が的外れであることが明らかになります。現代人は、労働の辛さは、作業そのものが持つ身体的な負担や労働時間の長短に由来すると考える傾向にあります(これはマルクスやアレントの定義から当然導き出される帰結です)。これらは重要な問題であることは間違いないものの、本質的ではありません。アンチワーク哲学では、自分の意志で世界に変化を起こしていると感じているかどうかこそが、当人の精神状態に大きく影響を与えると考えます。つまりアンチワーク哲学は、人々が自由であることを最重要視しているということです。

【参考文献】

ニーチェ『権力への意志』ちくま学芸文庫