第二章 インフレとはなにか?

■インフレの基本

 「金を刷ってBIを配ればインフレが訪れて大変なことになる」という批判が正しいのか、正しくないのか? そのことを分析するためには、まず「インフレとはなんなのか?」を理解する必要がある。ベーシックインカムの研究者スコット・サンテンスの『ベーシックインカム×MMT(現代貨幣理論)でお金を配ろう』を参照にしながら、確認していこう。まず、インフレ(物価上昇)がなぜ起きるのか? サンテンス曰く・・・

物価上昇は、何かに対する需要が供給を上回ったときに起こるものです。

 とのこと。この点に関しては異論はないだろう。例えばりんごが世界に一つだけ存在しているとして、食べたい人が百人いたなら、価格は上昇していく。逆に、りんごを食べたい人が一人しかいないのに、りんごが百個あれば、価格は下落する。高校の授業で習うような、経済学の基本中の基本である。

■インフレが起きない場合

 つまり、次のようなパターンであれば、インフレは起きない。もしアメリカの成人全員に毎月千二百ドルを配ったとしても・・・

もし全ての人々が1200ドルの小切手を現金化してベッドの下に隠したとしたら、おカネが新たに創られたとしても需要の増加は起こらないので、インフレ的な効果は全くありません。

 若干、直感に反する部分ではあるが、間違いないだろう。金が配られても、みんながタンス預金に回すなら、その結果はなにも起こらない。

 また、サンテンスは次のようにも語る。

もしみんなが1200ドルを音楽配信に使ったとしても、その需要は供給量を超えることはないでしょう。なぜなら、そのような商品は無限に供給を増やせるからです。だから、インフレ的な影響は生じないのです。

 つまりいくらでもコピーし放題の商品(ソシャゲのアイテム、ゲームのダウンロードコンテンツ、配信音楽、動画など、いわゆる限界費用ゼロの商品)は、いくら需要が高まってもインフレしないというわけだ。

 また、需要が増加して供給が不足しても、インフレしないパターンもあるという。順番待ちをしてもらうケースだ。品薄であってもニンテンドーがSwitchの価格を釣り上げなかった結果、価格は据え置きであった。つまり、インフレは起きなかった。

 あるいは、需要増加により逆に価格低下になるケースもサンテンスは紹介する。天然ガス採掘の水圧破砕法が発明されたケースである。

原油価格が高騰し、産油業がものすごく儲かるようになったとき、石油生産を増やす方法が発明されたのです。(中略)これによって、1ガロンあたり4ドル以上だった価格が半分以下にまで下がり、そのおかげで物流コストも下がり、他の多くの物も安くなったのです。

 つまり需要が高まった結果イノベーションが起きて、逆に価格が下がるケースもあるわけだ。

 では、逆にインフレするのはどのようなときか?

■インフレが起きる場合

 サンテンスは中古車を例に説明する。

2020年には、中古車の需要が増え、結果的に中古車の価格が上昇しました。限られたものを欲しがる人が増えれば、それを買おうと競争する人が出てくるので、そのぶん価格が上昇します。

 コロナによって車の必要になる郊外に引っ越す人が増えたことで需要が増え、世界的な半導体不足で供給が減り、その組み合わせで中古車価格は上昇した。

 あるいは、ガソリンの場合はといえば・・・

2020年の外出禁止の頃は、ほとんどの人々が家から出られず、車を使えなくなったので、ガソリン価格が急落しました。需要よりも供給がはるかに多くなったのです。その結果、製油所が閉鎖され、ガソリンの生産能力が縮小しました。2021年には需要が通常の水準に向かって急激に回復しましたが、一部の製油所が永久に閉鎖されたため、2021年の生産能力は2020年のそれを下回っています。需要の大きな変化に対応するには時間がかかるので、ガソリン価格が高騰したのです。

■ここまでのまとめ

 ここまでを簡単にまとめよう。まず、インフレとは、原則として需要が供給を上回ったときに起きる。しかし、需要が供給を上回ったとしても必ずしもインフレするわけではない。また、この商品はインフレしたけど、あの商品はインフレしないということもあり得るわけだ。

 つまり、お金が配られて余っているからといってインフレするとも限らない。それもそのはずだろう。そもそも日本は既に金が余っている。日銀の資産循環統計によれば、二〇二三年六月末時点における家計の金融資産(貯金や株などの金融資産。家や土地などの不動産は含まない)の合計は二一一五兆円。日本人一人当たり千八百万円近いお金が余っているのである。日本のGDPが五百兆円かそこらだという事実と照らし合わせれば驚愕の事態と言っていい。実にGDP(つまり日本人が一年間で生み出す付加価値の合計)の四倍の財やサービスを購入できるだけの貯金が、日本人の懐で眠っているのである。それでもインフレは起きていない。もちろん、だからといって「ほら、だからお金刷ればいいじゃん」と結論を下すのは早計だろう。BIによって需要が増えたり、供給が減ったりする可能性は、まだ完全には排除できていない。続いて、需要と供給のそれぞれの角度から、BIがどのような影響をもたらすかを考えてみよう。

■BIで需要が増え、インフレする場合

 例えば、月十万円が日本人全員に配られたとして、「ひゃっほうー!金もらえたぜ!」と喜ぶ人々が一体なにを買うのか?

 ここまで議論からすれば、全員がソシャゲに課金したとすればインフレは起こらない。全員がニンテンドーSwitch購入を決めたとしてもニンテンドーが顧客に順番待ちを強いたならインフレは起こらない。では、全員がsupremeのパーカーを購入し、supremeが貪欲に価格設定を行うならば? 間違いなくsupremeのパーカーはインフレするだろう。しかし、このような事態が起きることは考えにくい。仮に人々の欲望が嗜好品に向ったとして、supremeに一点集中することはなく、ゴルフクラブを求める人もいれば、高級メロンを求める人もいるからだ。特定の嗜好品やその原材料だけが急激にインフレするような事態に陥ることはないだろう。それに、仮にsupremeやゴルフクラブ、高級メロンが多少インフレしたとしても、大した問題ではない。諦めれば済む話である。

 では、何がインフレすれば困るのか? 当然、生活必需品だろう。トイレットペーパーや米、冷蔵庫の値段が高騰するとみんなが困る。とはいえ、「よっしゃあ月十万円貰えるから、明日から米を二倍食おう!」などと考えるような人はいないか、いたとしてもごく少数であることは明らかだ。天下取っても二号半である。せいぜいシングルを使っていたトイレットペーパーをダブルにしようとか、ちょっと高い国産の家具を買おうとか、有機野菜を買おうとか、グラスフェッドの牛肉を買おうとか、その程度の変化に過ぎない。この手の現象は起きないか、起きたとしてもいい影響であると捉えられる。なぜなら、高級品とは往々にして労働環境が良好な職場で作られていて、かつ環境負荷が少ない傾向にあるからだ。みんなが国産の家具を買えば、国内の林業が盛り上がり、逆に国産家具の価格が下がる可能性すらある。有機野菜の価格が下がることも、間違いなく良いことだ。

 ここまでの議論をまとめよう。

  • BIを配ったからといって、生活必需品の需要が高騰することでインフレが起きるようなことは考えにくい。

  • 上がるとすれば嗜好品だが、嗜好品の需要は分散されるので、大して上がらないだろうし、上がったとしても大した問題ではない。

  • 逆に高級品の需要が高まることで、持続可能な産業が成長し、価格が下がるという良い影響も考えられる。

 さて、BIによって需要が増えることはおそらく悪いインフレをもたらさないことがわかった。となると次に考えるべきは供給側だろう。供給が減ってもインフレは起きるのだから。

■BIで供給が減り、インフレする場合

 気づけばBIに関する議論の中での、最重要項目にたどり着いてしまった。BIによって供給が減る状況というのは、要するに誰も働かなくなるケースだ。

 「BIが貰えるから働かなくていいや!」と米農家が仕事を放棄すれば、米の価格は急騰し、子どもたちが飢えることになるだろう。大工が仕事を放棄すれば、住宅価格は高騰するだろう。インフラ企業に勤める人々が一斉に引きこもってニンテンドーSwitchをプレイし始めたなら、すぐにSwitchをプレイするための電気が家に届かなくなってしまう。そうなれば太陽光発電システムを導入すべく人々が殺到するにもかかわらず、それを設置する職人もほとんどおらず、工事は進まない。そもそも製品も製造されない。

 もちろんそんなことになったなら、日本は終了である。

 では、人々はBIを支給されれば働かなくなるのだろうか? この点については次章で詳しく検討していこう。