労働を廃絶する方法
さて、ブラックは「具体的にどうやって労働を廃絶すればいいのか?」という疑問には十分な回答を与えてくれていない。あるのは「遊べばいい」という曖昧なアドバイスだけである。そのアドバイスを真に受けたなら、なにが起きるだろうか? 万国の労働者が一斉に遊びはじめたのなら、大きな社会変革が起きるかもしれない。しかし、現代(特に日本)においては労働者が一斉にストライキを起こすような事態は稀である。なら『労働廃絶論』に触発された人が労働を放り投げて遊びはじめたところで、それは社会を変革する運動にはなり得ず、たんに彼が会社をクビになり路頭に迷うだけ。そのような事態はほとんど避けられないように思われる。では、山奥に引きこもってお金を使わない自給自足コミュニティを立ち上げればいいのだろうか? おそらくそれも一つの選択肢ではあるだろう。しかし、そのような生活を望む人は少ない。多くの人は、洗濯機やプレイステーション、スーパーマーケットのある生活を望んでいる。
なら、株式投資によりFIREを達成すればいいのだろうか? これも個人レベルで見れば有効な戦略である。ただし、ブラックは「誰一人として労働すべきではない」と主張しているのだ。つまり万人がFIREを達成する必要がある。それを可能にする方法は一つしかない。ベーシックインカムである。グレーバーは労働そのものの廃絶を主張したわけではないが、ブルシット・ジョブの廃絶のために、ベーシックインカムを提案している。
完全なベーシックインカムによるならば、万人に妥当な生活水準が提供され、賃金労働をおこなったりモノを売ったりしてさらなる富を追求するか、それとも自分の時間でなにか別のことをするか、それにかんしては個人の意志にゆだねられる。こうして、労働の強制は排除されるだろう。(デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店)
グレーバーが指摘する通り、ベーシックインカムはブラックが嫌悪した労働の「強制」の側面を弱めることとなる。なぜなら、先述の通り生活を維持するために必要な不労所得を得ている人に、労働を強制することはむずかしいからだ(ブラックの定義によれば、それはもはや労働ではなくなる)。とはいえ完全に強制が排除されるとは限らない。ベーシックインカムが月七万円なのか十万円なのかはさておき、それだけでは生活を成り立たせるのに十分ではないと感じる人は一定数存在するはずだ。ゆえに、ベーシックインカムが行き渡ったとしても一夜にして労働が廃絶されることはないだろう。
しかし、重要な変革は日進月歩で起きていくはずだと考えられる。生活のためにやりたくもないブルシット・ジョブに取り組む人はまず間違いなく量的に減っていく。あるいは辞めるほどでもない不満をこれまでぐっとこらえてきた人も、ベーシックインカムを盾に労働時間の短縮やワークシェアリング、あるいはより有益な活動への配置転換を要求する場合もあるだろう。不愉快な上司にNOを突きつけるのも比較的容易になるだろう。それでも強権を振るおうとするボスのもとからは人々は次第に離れていく。こうして、権力構造は徐々に弱体化していき、なんらかの職場で働く場合であっても「強制されている」という感覚は薄まっていき、あらゆる行為が自発的なものへと変化していくことだろう。もちろん中には怠ける人もいるだろうが、さしたる問題ではない。無意味な労働をやるくらいなら、怠けてもらった方が社会にとって善であることには疑いの余地はないだろう。